活動理念

「地域の宝を未来の子供たちへ」

自治会の案内

当自治会は、矢吹町の地図からその位置を見ると北西の位置にあたります。現在15行政区の連合組織で行政区長の任期は1期2年再任を問わず。となっており総区長は、担当行政区を持っておりません(小生は48年目です)。また、矢吹町の戸数約6,000戸、人口17,500人ですが、第二区自治会は未加入戸を含め数約1,000戸、約3,000人が暮らす矢吹町最大の組織でもあります。

第二区自治会の活動理念は「地域の宝を未来の子供たちへ」です。現存するものは残し、無いものは作り残すとして、自分たちで出来る範囲の活動として伝統行事の継承のほか景観保全のための奉仕活動を行っています。

具体的には、地域内の5公園の内、4公園(三十三観音史跡公園、ひまわり公園、小池公園、島池公園)や沿道に自治会区長会を核に地域支援者とともに花木植樹や水仙の植栽を県・町の助成金を活用しながら、季節に花咲く「花の里やぶき」を当地域から発信しようと盛んに試みております。

この活動は、大地震からの復興もありますが、原発の風評被害からの脱却と云った含みもあり、現世代の試みと思って頂ければ幸いです。

この第二区自治会の理念を平成25年より町内の全行政区長へ向け提唱して参りまして、平成27年度に福島県の助成金を活用して大池公園へ、ヒガンバナ球根22,000球、花桃の苗木140本植樹を町民230名で実施し、平成28年度は、100年後の花回廊を夢見て、うつくしま基金を活用した街なかの水路敷き道脇に500本のクルメツツジを223名で植樹することが出来ました。          

歴史

 町史によれば、平安時代中期、長元4年(1031)に当地の大池に毎夜三つの光を見て里人は恐怖し、五穀は実らず、長重、常吉が山城の国伏見に行き稲荷社に詣で勧請し、三光稲荷大明神と称したとあり、現在の大池公園南の三光稲荷神社から当地域の歴史がはじまります。康平5年(1062)源義家(八幡太郎義家)が前9年の役で安倍貞任を誅し、凱旋のおり当地滝八幡の牛頭天王社(ごずてんのう)の祠の屋根を矢柄で葺いて建立、「矢葺」の地名起こると伝えあり、同様の言い伝えは新潟県村上市に矢葺明神がありますが、地名として残らなかったのはその後の領主との係りであり、当町の場合、従軍していた石川有光が論功行賞で仙道7郡を与えられ、隣町の石川町に城を構え、その後4男が当地を領した時に石川氏から矢葺に性を改名し、以降350年当地を領したことによります。天正18年(1590)小田原攻めの不参を理由に石川氏が領地没収となり、石川氏は伊達氏に帰属し矢吹の館主も同様に石川氏のもとで伊達氏に帰属し館は廃城となりました。しかし豊臣秀吉の町割り整備令によって残留した家臣が下野し矢吹宿普請が行われて移り住み、江戸時代以降、本町を中心に南北の街道脇に家々が増えて現在へ至る原型が出来たと称されております。

 また、第二区自治会に本町があるのもそのためです。

                               矢吹町第二区自治会 会長 大野康統